私事の話となりますが、脈診流経絡治療として大阪市旭区で開院してからはや4年が経ち、5年目を迎えました。
私は平成25年に現大阪府立大阪北視覚支援学校を卒業してあん摩、鍼灸の免許を取得した後は整骨院に勤め、その後は訪問専門の鍼灸マッサージ師として独立開業しておりました。その後、令和3年8月末に自宅一階を鍼灸院として開業して現在に至っています。
現在、多くの鍼灸を学べる学校やその後の就職先となる整骨院等では鍼といえば皮下深くに鍼を入れ、筋の硬結や神経に鍼を当てるいわゆる刺激鍼というものが主流であり、私が所属している東洋はり医学会のような東洋医学を基礎とした鍼灸術は、わざわざそちらを学びたいと思って進まなければ習得しにくいシステムになってしまっています。
かくいう私自身も上に述べた様に卒業後整骨院を経て訪問専門の鍼灸マッサージ師として令和元年までは鍼灸学校や整骨院で学んだ刺激鍼を行なって生計を立てていました。しかしながら年数を経過していくにつれ、周りの環境や保険制度に次々と変化がありこのまま今のやり方で将来的に生計を立てていけるのだろうかという疑問を生じるようになりました。
そこで視覚支援学校時代の同級生でもあり、現在もなみはや支部の支部長をしておられる酒見先生に相談をし、東洋はりの鍼灸術を学ぶ事にしました。
入会当初は経絡治療というものを正直な所、今の仕事にプラスαできればいいやくらいに思っていました。本当に最初の頃は理論やその技術の真髄もわからなかったので、なぜツボを使って脈を整える事で患者さんの身体が良くなるのかということでさえ意味不明でしたし、刺激鍼に染まりきっていた自分にはなぜ皮下数ミリの深さの刺鍼で状態が良くなるのか不思議でなりませんでした。そうこうしている内に「経絡治療は自分には難しいのでは?」と思うようになり、少しずつ距離ができてしまいました。
そして、なみはや支部で学ぶ事自体が自分の中で優先順位が低くなってしまい、欠席する事も増えていました。仕事が多忙になったり家庭の事情があったりはしましたが、他の支部員の方の仕事や家庭の話を聞いた今では言い訳にしかならず、行かない言い訳を探していたのだと思います。
そんな折、令和3年にコロナの急速な拡大が起こりました。私が当時主軸としていた訪問鍼灸、マッサージ業も介護施設でお一人陽性がでれば施設全体が出入り禁止となる等、大打撃を受けました。そこで、こちらから行けないのであれば患者さんから来ていただくしか無いと思い、今の住所に鍼灸院を開院しました。
開院のきっかけは上記の通り、切羽詰まった状態であった感は否めません。世間が大変な時、患者さんとなる方々も外出を控える中で周りと同じ様な刺激鍼の鍼灸術ではなく、経絡治療という鍼灸術により差別化を図れたのも良かったというのも本音です。真面目な支部員ではありませんでしたが東洋はりで学んでいて本当に良かった。むしろ助かったと言えるくらいです。それと同時に覚悟が決まりました。この道を進んで行くのであれば本気で取り組まなければやっていけないし成功できない。そう思ってそれからは真面目になったつもりです。
現在、なみはや支部も次々と新しい支部員の方が入ってきて、私も中堅くらいの位置となり講義や実技等で人に教える立場になりました。教える事で学べる事、知っていたつもりが勘違いしてた事等まだまだ毎月のように気づきがあって刺激を受けています。
新しく入った支部員の方々を見ていると最初から意欲的な方もいますし、当時の私と同じく優先順位が低いのかなと思う方も正直おられます。当然の事ながら最初から意欲的な方と途中で心機一転する方とでは学びに差は出ます。だからといって、私もそうでしたから今現在優先順位が低い方でもそれはダメだとは言えませんし、何がきっかけで真剣に学ぼうと思うかは人それぞれだと思っています。でも一つ言える事は真剣に学ぼうと思った時の吸収力はそれ以前と段違いなのは確かです。身をもってそれは感じているので、今意欲が低くても少なくとも学ぶ事は止めず、真剣に学びたいと思った時はしっかりと学んでいただきたいと思います。
以上、ギリギリ綱渡りみたいな私の経験ですが、これはこれでサンプルの一つだと思いますので、今の支部の新しい方やこれからブログを見て入ってこられる方に少しでも響けば幸いです。
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